四十分の保冷箱 午後二時十分、台風の雨が東京の東側を白く消し、すべての電車が止まった。二十六歳の青年、榊蓮は、東央移植センターの搬入口で自転車を壁に寄せた。配車係の杉本が、銀色の保冷箱を荷台に載せ、二本のベルトを強く締めた。 「西都総合病院まで四十分だ。手術室は待っている」 「いつもの川沿いを行く」 「低い道は水が出た。青葉坂を越えて。箱は絶対に横にするな」 蓮は箱の印を上に向けたまま、さらに自分の短いベルトを取っ手へ通した。杉本が午後二時十二分を指す時計を見せると、蓮は雨の中へ飛び出した。 大通りでは、止まったバスや車が交差点まで列を作り、運転手たちが窓から先を見ていた。蓮は車の左を抜けたが、風を受けるたびに前輪が歩道側へ押された。十字路の手前で工事用の板が飛び、蓮はブレーキを握って車体を右へ倒した。板は前輪をかすめ、荷台が道路の低い柵に当たった。 金属の音がして、荷台の後ろ側が折れた。一本目のベルトが切れ、保冷箱が濡れた坂を滑り始めた。坂の下では、道路脇の排水口をふさぐ鉄板が外れ、黒い水が大きな穴へ流れ込んでいた。 蓮は自転車を捨て、箱を追って走った。靴が一度滑り、左膝が道路を打ったが、蓮は立たずに両手を前へ伸ばした。箱は排水口の縁で向きを変え、片方の角から穴へ落ちた。蓮は自分のベルトをつかみ、腹を道路につけたまま、落ちる箱を腕一本で止めた。 箱の重さで肩が縁から出て、雨水が蓮の顔をたたいた。蓮は右足を柵の根元に当て、左腕もベルトへ回し、少しずつ後ろへ下がった。箱が道路へ戻ると、蓮は印がまだ上を向いていることと、温度表示が正常であることを確かめた。手のひらから血が出ていたが、時計はすでに二時二十七分だった。 曲がった自転車は後輪が動かず、押すこともできなかった。道路の向かいに小さなパン店があり、中年の店主、大庭が入口の袋を片づけていた。蓮は保冷箱を抱えて横断し、店の奥にある配達用自転車を指した。 「移植用の箱です。病院まで自転車を貸してください」 大庭は蓮の血のついた手と箱を見た。 「返せるんですか」 「必ず返します。今は十八分しかありません」 大庭は鍵を外し、「前のブレーキが弱い。坂では後ろを使ってください」と言った。蓮は箱を前の大きな荷台に置き、残ったベルトで縦と横を結んだ。 青葉坂への道は、倒れた木で半分ふさがっていた。右側には動かない車が並び、左側には木の枝と壁の間に、人一人ほどの空間があった。蓮は速度を落とさず、その空間へ前輪を入れた。枝が上着を裂き、太い葉が顔を打ったが、箱は壁から指二本分だけ離れて通った。 坂の上で風が正面から来ると、重い自転車は急に止まりそうになった。蓮は座席から腰を上げ、傷ついた膝を伸ばすたびにペダルを半回転ずつ進めた。坂を越えた時、杉本から電話が入った。 「蓮、どこだ」 「青葉坂を下る。あと九分」 「病院の西口は閉鎖された。南の救急搬入口へ回れ」 南へ曲がるには、坂の下で二車線を横切る必要があった。信号は消え、風で向きを変えた無人の台車が道路を走ってきた。蓮は後ろのブレーキを握り、台車を先に通したが、弱い前のブレーキでは停止できなかった。蓮は右足を地面にこすりつけ、車列の直前で自転車を横へ向けた。靴底が削れ、自転車は倒れかけたが、箱を結んだベルトは外れなかった。 病院の白い建物が二つ先の角に見えた時、時計は二時四十八分を示していた。救急搬入口までは上り坂が残り、その途中で自転車の鎖が外れた。蓮は直さず、ハンドルを握って走った。警備の扉が閉まり始めたため、蓮は「移植の箱です。開けてください」と叫んだ。 扉の下にわずかな隙間が残り、内側から女性医師の三宅が停止ボタンを押した。蓮は自転車を外に倒し、保冷箱だけを抱えて隙間をくぐった。二時五十一分、三宅は温度表示と封印を確かめ、蓮の両手から箱を受け取った。 「確かに受け取りました。すぐ運びます」 三宅は保冷箱を胸に抱え、手術室へ続く廊下を走った。