最後のバス
朝、駅前のバス停に直人がいる。今日は直人がこの町を出る日だ。直人は毎朝、同じバスに乗る。美咲も毎朝、同じバスに乗る。二人はいつも同じ席の近くにいる。二人はまだ話したことがない。
バスが来る。直人は美咲の前に立つ。「すみません。今日は、少し話してもいいですか」
「はい。どうぞ」
「私の名前は直人です。今日で、このバスは最後です」
「最後ですか」
「はい。来週から、遠い町の会社で働きます。半年、ここに帰りません」
「そうですか。大変ですね」
「美咲さんは、私の名前を知っていますね」
「紙に名前がありました。毎朝、見えました」
「そうですか。美咲さんは、どうして毎朝このバスに乗りますか」
「会社へ行きます。母と家に住んでいます。今は町を出られません」
「母を一人にできないのですね」
「はい。だから、今は遠くへ行けません」
バスがもう一度、駅の前に来る。人が少しずつ乗る。直人はまだ乗らない。
「美咲さん、電話番号を教えてください」
「電話をしますか」
「はい。毎日ではありません。でも、電話をします」
「半年は長いです」
「はい。でも、半年後に帰ります」
「本当に帰りますか」
「帰ります。美咲さん、待ってくれますか」
美咲は紙に電話番号を書く。「待ちます。でも、直人さんも電話してください」
「はい。必ず電話します」
「明日から、直人さんはいないのですね」
「はい。明日から、このバスに乗りません」
「では、今日、少し一緒に乗りませんか」
「はい。お願いします」
直人は美咲の隣に座る。バスはゆっくり動く。美咲は紙をポケットに入れ、直人の名前をもう一度見る。