朝までの言葉 安政六年の秋、長崎の出島では、午後になると港から荷を運ぶ音が聞こえた。宗太は商館の小さな部屋で、帳面に日本語を書いていた。窓の下を通る荷車が止まるたびに、宗太の筆も止まった。荷車がまた動くと、宗太は次の数字を読んだ。 彦助が部屋に入り、一通の手紙を机に置いた。封には商館の印があった。「朝までに訳してくれ」と彦助は言った。宗太が「急ぎですか」と聞くと、彦助は「朝、人に見せる」と答えた。彦助の指には墨がついていたが、手紙には触れなかった。宗太は封を開き、オランダ語の文字を一行ずつ追った。 手紙には、出島の商館を閉じると書いてあった。荷物は港の建物へ移す。働いた人への金と、受け取った品の代金は、あとで払う。宗太は初めの一行をもう一度読んだ。前の日までこの部屋で働いていた人も、明日からは門を通らないのだろうか。宗太自身にも、次の仕事の話はまだなかった。机の端には、今月の家賃を入れる小さな袋があった。 「『商館を閉じる』でいい」と彦助は言った。「訳ができたら、ここに置いてくれ。」宗太はうなずいた。彦助が出ていくと、宗太は紙にその言葉を書いた。続けて「荷物は港へ移す」と書いたところで、筆を置いた。金を払うという行は、どう書いても、今日金が出ることにはならなかった。 夕方、宗太は出島の橋を渡った。橋の向こうで、お糸が米の包みを片づけていた。木の箱には、空の茶わんが二つ重ねてあった。お糸は昼になると、商館で働く人に飯とみそ汁を届けていた。宗太もその飯を食べ、代金を月の終わりに払っていた。 「今日は遅いね」とお糸が言った。「飯、少し残ってるよ。」宗太は箱の横に立ったまま、「今夜はいい」と答えた。お糸は包みを箱に戻し、帳面を出した。「じゃあ、これを見て。商館へ届けた分だけ、まだもらってない。」帳面には日ごとに米の数が書かれ、最後の行は今朝の日付だった。宗太は帳面を返した。「明日の朝、商館へ持っていけるか」と聞いた。お糸は橋の方を見た。「明日は門が開くの」と聞いた。 宗太は口を開いたが、答えられなかった。門が開くかどうか、手紙には書いていない。「代金のことは、書いてある」と宗太は言った。「でも、いつ払うかは書いていない。」お糸は帳面を箱にしまった。「じゃあ、朝、持っていくよ。米はもう届けたんだから。」宗太が「うん」と言うと、お糸は残った飯を小さな包みにして渡した。「これは今日の分。金は後でいいよ。」宗太は銭を出したが、お糸は箱を持って歩き出した。 夜、宗太は油皿に火をつけ、手紙の訳を初めから書き直した。「明日の朝、出島の商館を閉じる。」その下に、荷物を移すことと、金と代金をあとで払うことを書いた。さっきまで「出島を閉じる」と書きかけていた紙は、丸めずに机の横へ置いた。宗太は訳した紙を何度も読み、手紙と行を合わせた。それから別の紙を取り、「米の代金はどこで、いつ払うか」と書いた。お糸の帳面の日付も、その紙に写した。 夜が明ける前に、彦助が部屋へ戻った。宗太は訳した紙を先に渡した。彦助は「短いな」と言いながら、最後まで読んだ。「手紙にないことは足していません」と宗太は言った。宗太がもう一枚の紙を差し出すと、彦助は顔を上げた。「これは訳か。」「いいえ。米の代金についての質問です。」彦助は紙を机に戻した。「朝までと言ったのは訳の方だ。こっちは誰が書いた。」「私です。」彦助は窓の外を見た。橋の前には、まだ人の姿がなかった。 「訳を見せる前に、質問を出すのか」と彦助が聞いた。宗太は机の横の古い紙を指で押さえた。「手紙には、代金をあとで払うとあります。どこへ行けばいいか、届けた人は知りません。」彦助はしばらく紙を見てから、宗太の前に押し返した。「お前の名前も書け。答えがなければ、朝、俺が聞く。」宗太は名前を書き、彦助に渡した。 朝、宗太が橋へ行くと、お糸が箱を足元に置いて待っていた。宗太は持っていた飯の包みを見せた。「これ、まだ食べてない」と言った。お糸は「冷たいよ」と答え、箱から茶わんを一つ出した。宗太は橋のわきに座り、包みを開いた。